高校三年生の時、仲の良いグループの友達のひとりに、「ちかちゃん」という子がいた。彼女はいわゆるイケてる女子高生で、当時流行りだったルーズソックスに、限界まで丈を短くしたスカートと薄化粧がよく似合う、大変可愛い顔をした女の子だった。背が小さくて、痩せていて、茶色のサラサラした髪を揺らしてよく笑っていた。最新のポケベルを使いこなし、放課後は他校のボーイフレンドと遊んだり、禁止されていたバイトをしたり、女子高生としての放課後ライフを満喫しているように見えた。

 他方、高校時代の私は真面目一筋。クラス委員だったので、あだ名はよくありがちな、「委員長」であった。入学当初から、成績は学年トップを維持していたが、外見はイケてなかった。校則どおりのスカート丈に、真っ黒の髪。体型はどちらかというと太めで、身長は高い方だ。化粧なんてもちろんしないし、校則で禁止のアルバイトもそもそも親が許さないのでしない。当時、いまの携帯電話のように誰もが持っていたポケベルはなんとか買ってもらえたが、生徒手帳を常に胸ポケットに入れていたような私は、好きな人にも想いを告げられないほど奥手で、ポケベルを使いこなすような「華やかな」予定はなかった。

 そんな、ある意味正反対の私と彼女であるが、わりと仲がよかった。それは共通点があったからだと思う。彼女は見かけは遊び人であったが隠れた努力家でもあり、遊んでいたわりに成績は良かった。そして、進学校ではないうちの高校において、卒業後の進路には珍しく四年制大学を希望していた。(私は親の言いつけにより、もちろんである。)そして、お互い、両親が不仲だった。家庭が不和で、離婚寸前だったのである。お互い、父親に叩かれることすらあった。

 ちかちゃんは授業中、よく手紙を回してきた。私も、いくら真面目といっても友人を迷惑と感じるほど勉強熱心だったわけではないから、先生に見つからないように、スリルのある秘密の交流を楽しんだ。

 あるとき、手紙の中で、私は「いちばん大切なものはなに?」と聞いたことがある。思春期の手紙というものは、往々にしてこのような、心の深いところに直接切り込んでくる内容のものが多く、それは例え授業中に交わしたノートの切れ端に書いたものでも例外ではない。私は、ちかちゃんからの返信をもらったとき、予期していたのとは全く違う言葉が書かれていたので、とても印象に残っている。

 「いちばん大切なものはなに?」という問いに対する彼女の手紙には、「自分を支える、もうひとりの自分」と書かれていた。

 私は、一瞬ガッカリした。「友達」とか、書いてくれるものと少し期待していたのだ。そして、彼女の言う「自分を支えるもうひとりの自分」の意味が、あまりよくわからなかった。

 大人になり、私たちはいつの間にか会うことがなくなったけれど、ふとなにかの拍子に、ちかちゃんのこの言葉を思い出すことがある。その意味が、いまならよくわかる。きっと彼女はあの時、私より少し、大人だったのだ。

 大人になると、人生のたくさんのことをひとりで乗り越えて行かなければならないことに気づく。恋人とどんなに心を通わせても、親友がいても、結局自分の人生の困難は自分ひとりで乗り越えなければならず、生まれた時から家族だった父・母・兄弟でも、いちど袂を分てばまったく知らない人に見えてきたりもするものだ。そんななかで最後に頼りになるのはやはり「自分を支える、もうひとりの自分」だ。

 それは例えるなら、サッカーで勝敗を決める最後のPKを蹴るときの選手に似ている。共に闘うチームメイトもいるし、指示してくれる監督もいる。遠くから応援してくれるサポーターもいるし、スタンドで見守る家族もいるのだから、確かにひとりではない。しかし、勝敗を決めるボールを蹴るのは、自分ひとりだ。自分ひとりにゲームの行方すべてがかかっている。どんなに逃げ出したくても、誰にも代わってもらうことができないのである。

 意識してもしなくても、私たちは毎日、世界というフィールドに出てゲームをしている。勝つ日も負ける日もあるだろう。大人になればなるほどゲームは難しく、敵も強くなる。そのなかで、世界のベスト8に入っていくにはどうすればいいだろう。みんなが毎日、自分の戦を闘っている。世間という荒波のなかでなんとか飲み込まれずに生きていくには、「もうひとりの自分」が強くなるしかない。つまり心の鍛錬だ。

 大人になったちかちゃんに、今あらためて「いちばん大切なものはなに?」と聞いたらなんと答えるだろうか。今頃は結婚して子供がいたりして、もしかしたら「家族」と答えるかもしれない。

 でも、私は思うのだ。

 自分を支えてくれる他の誰かを見つけたとしても、彼女はきっと強いままだろうと。心の中にいる「自分を支えるもうひとりの自分」が、決して折れないひとつの芯を掲げて、新しく手に入れた「大切なもの」を守る強さをもった、素敵な女性になっている姿が目に浮かぶ気がした。